馬琴について

曲亭(滝沢)馬琴について、すこしだけ。

曲亭馬琴

きょくていばきん。本名は滝沢興邦(たきざわおきくに)、後に解(とく)。
明和4年6月9日(1767年7月4日) - 嘉永元年11月6日(1848年12月1日)
江戸時代後期の戯作者で、『南総里見八犬伝』『椿説弓張月』が代表作。

詳細は wikiを読んだ方が早いです

墓所は東京都文京区の深光寺にあります。命日の11月6日は「馬琴忌」です。

馬琴の墓

2012年11月にお参りした時の写真です。
うしろに嫁のお路さんのお墓もあるけど撮ってなかった…

馬琴の墓碑

馬琴肖像
『南総里見八犬伝』第九輯巻之五十三下
「回外剰筆」内出像
「頭陀二たび著作堂に来訪す」(香蝶楼国貞画)
よりトレース

馬琴あれこれ

  • 出奔&彷徨、フリーター時代

    14歳で松平家を飛び出してからあちこちに奉公しては放浪生活に戻る繰り返し。俳諧やったり占い師やったり。
    売れっ子戯作者である山東京伝のところに弟子入りし、やっと落ち着きました。
    昔の偉人も迷走してフリーターやってたんだなあと思うと現代人として心強いです。
    しかし息子は藩邸の医師にしたり、孫のためには武家の株を買って仕官させたり。 勤め人が合わなくてフリーター・作家業で長く過ごしても、だからこそ子や孫には手堅く生きてほしくなるあたり、 現代人と変わらないなと思います。

  • 日本初の専業作家?

    日本で初めての専業作家として紹介されるのをたまに見ます。
    当時の戯作者はだいたい兼業で、山東京伝はタバコ屋、式亭三馬は古本屋と売薬屋を営んでいます。
    しかし馬琴も製薬・売薬を家族総出でやっていました。著作には自分の薬の広告だらけ(ステマですな)。
    大きい店を持たなかったから兼業がノーカンにされてるのかなあ。よくわからんです。
    作品を読んでて「神女湯」が出てきたら「おっ、また宣伝してるな」とニヤニヤします。

  • 鬼レベルのKICHOMEN日記マン

    何でもかんでも事細かに日記に書く馬琴先生。時事から日々の収支や作家のお付き合い、庭仕事と収穫の記録どころか、 ご近所トラブルまでばっちり。
    とにかく小銭にうるさい。セコい。汲み取りに来た農家さんからもらえる野菜の値切り方もえぐい。そして揉める。
    読んでると「あ~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!」な感じです。
    馬琴が書けない間に代筆した息子・宗伯先生による隣のおばちゃんへのコメント「狼ばば」の破壊力はすごい。 気になったら読んでみてください。

  • コンテも描いちゃう

    自分の著作の挿絵への注文もネチネチ几帳面バッチリ、細かいコンテを渡して絵師が指示通りに描かなければ激怒していたそうで。
    椿説弓張月の挿絵担当・北斎とは年がら年中大バトルだったそうですよ。なんだよそのご褒美、現代のぼくらにも見せてくださいよ……。
    八犬伝第九輯の稿本は国立国会図書館デジタルコレクションで見ることができます。

  • けっこうなオカルト好き

    『兎園小説』や『玄同放言』をパッと見て「あ、これはヤバい」と思いました。ムーとか好きそう。
    八犬伝にオカルト的趣向が多いのもわかる。

  • 作品に薀蓄と説教が多い

    読んでて時々イラッとする。薀蓄がひたすら長い。
    勉強になるけどイラッとする時は流し読みしてます。あとで伏線だったりすると泣く。

作品だけでなくご本人もだいぶ面白い。
愛すべき大先生だなあと思って読んでます。

嫁・路(みち)

馬琴の息子・宗伯の妻お路(みち)さんも、馬琴の作品を語るのに欠かせない存在です。
『南総里見八犬伝』執筆中に失明した馬琴に代わり、口述筆記で執筆を行いました。 (小説『馬琴の嫁』や鏑木清方の絵でも題材にされています。)
女性は難しい漢語など習わない時代ですから、大変な苦労があったそうです。 『南総里見八犬伝』第九輯巻之五十三下「回外剰筆」でも馬琴のおまけ話で語られています。
八犬伝後半やその後の『近世説美少年録』などを読む時、馬琴のお墓を訪れた時、お路さんの事も思い出してみてください。

参考になる書籍

見つけたらまた追加します

2017/1/3 初稿